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【市民ランナーのホームページBy東京・荒川市民マラソン2連覇の市民ランナー平沢直樹】
品目名 : ひらめ樹(ひらめき)または別名●のり子大好き
苗字=ひらめ 名前=樹 ●ひらめ・ひらめ樹の命名由来
植林月日 : 昭和49年8月
樹齢 : ピチピチの33歳
樹液型 : O型
原生地 : 埼玉県
性格 : マイペース&凝り性
好きなこと : 勝負事で勝つこと&愛犬の世話
愛犬 : ハチ♀デパートで拾う。
他のペット : 飼うとハチに噛まれる
趣味 : ●フルマラソン&●テレビ・パソコンゲーム&●競馬観戦
| 小学校の卒業式を間近に控えた冬のある日に、2年間も想い続けた女の子に「ちょっとそこどいてよデブ!」と言われたときには、小学生ながらに胸に杭を打ちつけられたようなショックを受けました。やせたい・・・、それが中学校への入学を機にスポーツに取り組み始めたきっかけでした。太っていたので、走るのも球技も腕相撲でさえも好きな女の子に勝てなかったのび太君状態だった私。確か小学校5年生のときの校内マラソン大会では95人中の94位。走ることは苦手だったので体育の授業での持久走練習はいつも憂鬱でした。 小学生の頃は絵画・工作クラブに所属していた私にとって、中学でバスケ部入部を決意したのはとても勇気の要ることでした。もっとやせてスポーツが出来るようになりその子を振り向かせたい、ただその一念で3年間ひたすら打ち込んだものです。残念ながら、私に球技は向いていなかったようでバスケはさほど上達しなかったものの、やせていくのに従って走るのがどんどん速くなり、校内マラソン大会では1年生で9位、2年生で3位、3年生で2位と表彰台に立てるようになりました。とりえがなかった私にとってはそれがとても快感で、次第に走ることが好きになっていきました。出来なかったこと・苦手だったことが努力で次第にできるようになるその喜びはみなさんも経験してきたのではないでしょうか? また、中学時代はクラスメートのいじめに遭い辛い日々でした。ただ、毎年10月に開催される体育祭の1500M走で活躍するころと、11月に開催される校内マラソン大会が近づいてきて体育の授業で持久走の練習をするころになると全くいじめがなくなりました。それどころか普段とは反対にちやほやされたぐらいでした。いじめという辛い逆境から抜け出すために、人に負けないとりえを身につけたいという自己防衛手段としての強い思いが、今の私のマラソンにおける優勝へのこだわりとして大きく影響を与えている気がします。 |
| 高校でもバスケをしようかそれとも陸上競技をしようかと迷いましたが、クラスメイトに誘われたこともありまして、まずは軽い気持ちで陸上部に仮入部してみることになりました。 「おおっ!なんてかわいい子がいるんだ!?」ひとつ年上の先輩にまさに一目ぼれでした。「中長距離なら私と一緒だね!」のひと言でバスケへの思いはどこかへと飛んでいき、やはりこれからの時代は中長距離走だ!とすぐに正式入部を決めました。振り返ってみると高校時代は走るのを楽しみに陸上部の練習会に参加していたとうよりも、むしろその先輩に会うのを楽しみにせっせと参加していた気がします。実はフルマラソンに挑戦したきっかけは、練習中に彼女が「あ〜ホノルルマラソンとかいいなっ!サロマ湖100qマラソンも面白そう。いつかは参加してみたいな〜♪」と話していたのを聞いて興味を持ったというのが始まりでした。 その頃は価値観がその先輩に左右されていたように思います。したがって、彼女が3年生になり引退してからは次第に陸上への情熱が冷めていくことになりました。さらに追い討ちをかけるように、服用した風邪薬の副作用の影響で極度の慢性疲労に陥り、わずかなジョギングでも疲労困憊になったり、一晩ぐっすり寝ても次の日に疲れがかなり残ったままだったりというようなスランプが重なりました。結局、高校2年生の春先からの体調不良は夏になっても続きました。あまりの不調で身体が思うように動かないために、思い切って部活顧問の先生に練習内容の変更を申し出たところ、「俺が課した練習内容が出来ないというならば、お前は陸上部をやめるしかない!」と強制退部を命じられたのです。それがチームに所属せずにひとりで練習内容を考え実践する日々の始まりでした。ただ、校内マラソン大会などでの優勝を目標にして練習に取り組んだものの満足のいく結果は出せずに、校内マラソン大会で10位、体育祭2000M走でも3位と力が及ばずに悔しい思いをしました。 それは、「もう大学へ進学してからは校内マラソンでの優勝のチャンスもなくなるだろうし、大学生活は陸上競技以外のことを楽しんでいこうか」と考え始めていた頃のことでした。獨協大学の文化祭(雄飛祭)イベントとして毎年開催されているマラソン大会(天野杯マラソン)が、私が高校3年生のときの開催から一般参加者にも開放されることになったのです。天野杯マラソンの開催当日は、母校の獨協埼玉高校では3年生対象の模擬試験が行われていましたが、それをさぼって●獨協大学雄飛祭イベント天野杯マラソンへと向かいました。ただ、獨協大学にひと足先に進学していた憧れの先輩に会うのが目的みたいな感じでしたので、優勝は全く意識しておりませんでした。しかしながら結果は、激しい競り合いをラスト50Mのスパートで制してのマラソン大会初優勝。ほとんど引退レースのつもりで出場した大会だったのですが、ゴール後には味わったことのない興奮と喜びに包まれて、走ることへの意欲が一気に増幅していきました。私がこれまでに頂いたトロフィーやカップの中で、一番嬉しくて大切にしたのがこの初優勝の時のものでした。 その後しばらくして新たな目標が心に浮かんできました。それはフルマラソン挑戦。初フルを高校時代に経験したいと思い、それまでに10kmレースもハーフマラソンも一度も走ったことがないのにもかかわらずいきなりのフル挑戦でした。初舞台は海外でのロサンゼルスマラソン。高校の卒業式の5日前、快晴で気温30度以上の暑さの中3時間11分での初完走でした。 |