| 私にとってホノルルマラソンは、なんといっても初サブスリーを達成した舞台!!1993年にランナーズホノルルマラソンツアーでホノルルマラソンに初参加したときの目標はサブスリーの達成でした。その9ヶ月前の初マラソンでは3時間11分で完走していましたが、さらにあと12分の短縮を必要とすることから、憧れつつもかなり難しく思えていました。しかしながら、初参加の結果は2時間51分での完走。一気に20分も短縮する自己ベストタイムでした。 当時大学生だった私は、英語の授業を担当してくださっていた先生と、ホノルルマラソンへの参加に際してある約束をしていました。それは、ホノルルマラソンで年代別表彰19歳以下の部で3位以内、またはサブスリーを達成できたら、遠征中のため欠席する授業を特別に出席扱いにしてもらえるというものでした。その英語の授業では、無遅刻・無欠席の皆勤の生徒は、定期考査の点数にプラス10点が加点されて成績評価されることになっていたので、先生にホノルルマラソンへの情熱をぶつけて条件付で頼み込んだのです。「まさか本当に達成してくるとは!」と先生も驚いていました。 |
| 初参加から8年、2001年に再びホノルルマラソンに出場をしました。ちょうどその2週間前には、つくばマラソンで2時間30分を初めて切ることができて勢いに乗っての参戦でした。結果は約25,000人中の24位。ラスト2kmからのダイヤモンドヘッドの下り坂で激しい腹痛に襲われペースダウンしたのは残念でしたが、強風と蒸し暑さの中で達成した2時間39分での完走は、胸を張れるものだと思います。たとえマラソンにまったく興味がない人でも、ホノルルマラソンと箱根駅伝ならば聞き覚えがあるというぐらいにホノルルマラソンの知名度は高く、そこでの24位という成績に対して周囲も驚いてくれて嬉しかったです。 |
| 2度目の参加からさらに3年、昨年(2004年)もホノルルマラソンに出場をしました。大会の8日前に母が亡くなり、告別式の翌日がホノルルへの出発日という慌しいなかでの参戦でした。10月の弘前・白神アップルマラソンでフルマラソンの部の優勝副賞としてホノルルマラソン招待をいただき、日本人トップと総合10位以内を目標に走りました。2004年は1年でフルマラソンに15レースも出場をして、その最終戦ということもあり疲労の蓄積があったのか、34qまでは日本人トップで走っていたもののエネルギー切れで失速して逆転されてしまいました。さらには、ダイヤモンドヘッドの頂上付近(39.8q)で日本人女子トップ(女子総合2位)の早川英理さんにも交わされてしまい、結局は総合12位で男子10位に終わり、ゴール直後はショックで呆然としてしまいました。2004年度はベストタイムの2時間21分42秒の樹立を始め、2時間26分台以内の完走を7回記録したり、11月上旬に出場したオリンピックと同コースのアテネマラソンも2時間24分で完走したりするなど絶好調でしたが、11月下旬に出場した河口湖マラソンのときも今回と同様に失速して2時間34分に終わったように、アテネマラソンで見せたパフォーマンスを最後に、もはや25分台以内を目標とできるような余力は残っていなかったのだと思います。 気象条件は3度参加した中では抜群に良く、他の参加者からも走りやすかったと絶賛されていました。そのため男女ともにコースレコードが誕生して盛り上がりました。ワイキキビーチ周辺を散歩していると、顔なじみのランニング仲間たちにやたらとよく会い、そのたびに海外マラソンに来ているというより、まるで関東のどこかのレースに出場しているような錯覚に陥りました。 |
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公式HPはこちら→●JALホノルルマラソン公式HP
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【市民ランナーのホームページBy東京・荒川市民マラソン2連覇の市民ランナー平沢直樹】